遠くで続く出来事と、ここにある静かな日常とのあいだには、目では捉えられない深い隔たりがある。距離によって意味を失った形や動きは、私たちの「理解している」という感覚の脆さをむしろ照らし出す。
泡風呂の浴槽から泡が絶えずあふれ続ける。そこに置かれているのは、作者自身の身体を写した平らなマットであり、本来そこにあるはずの重さや温度は、意図的に欠け落ちている。親密さの象徴である浴槽が、実体を持たない身体と泡だけで満たされるとき、観る人は「在るようでいない」という奇妙な感覚に出会う。その僅かなずれは、私たちが日常の中で遠い出来事を理解したつもりになりながら、実際には触れられていないことの脆さを静かに示している。泡に覆われた平面の身体は、存在と不在のあいだに生まれる小さな空白を浮かひ上がらせ、観る人自身の想像の余地をそっと残している。
本来はくつろぎの象徵であるはずの摇れが、ここでは重さのない身体と噛み合わず、静かな不安だけを残す。そこにいるはずの「誰か」は不在であり、残されているのは、形だけの身体と摇れ続ける椅子のリズムである。安らぎと不安、存在と空虚が同じ動きの中で重なり合い、観る人はその間に生まれる小さなずれを自分の内部で補おうとする。
本作に使用されているのは、近年もっとも多く目にすることになった報道写真である。しかし、それらの画像は特殊な加工によって細かな点状に分解され、近づくほど全体が見えなくなり、離れてはじめて輪郭が立ち上がる。目の前にあるはずの情報が、距離によって逆に遠ざかってしまうという不思議な構造は、私たちが日々スクリーン越しに触れている出来事との微妙な隔たりを静かに示している。点の集まりとして現れる世界と、離れてようやく見える全体像。その小さなズレが、「見ていること」と「理解していること」のあいだにあるわずかな空白を呼び起こす。
本作では、近年もっとも注目されたニュース映像が、あえて粗くぼかされた大きなイメ-ジとして背後に置かれている。その手前には、はっきりとした小さな広告だけが鮮明な輪郭を保ったまま貼り付いている。重大な出来事は徐々に輪郭を失い、代わりに軽い娯楽や商品だけが視界の中心へと滑り込んでくる--私たちが日常的に経験している、情報の優先順位の反転をそのまま可視化した構造である。ニュースの重さと、広告の軽さ。遠くの現実と、生活に染みついたアルゴリズム。そのニつが奇妙に入れ替わる瞬間が、私たちの「見ているつもり」 の脆さを静かに浮かび上がらせる。
アーティスト履歴
HAN XIAO
中国生まれ。京都芸術大学大学院 芸術研究科領域修了。
主なグループ展
2025年 The CAPS―Contemporary Art Practice展(大阪 高島屋)
2025年 SPURT展(京都 Galerie Aube)
2025年 " Totalmel tdown over there?Yeah, I' m just over here picking my nose offscreen" 二人展(京都 LICHT) .
2023年 PWG16 "durée" (東京、PUBLICS WALL GALLERY).
202 1年 東川町国際写真フォトフェステGAKKOTENの屋外展示(北海道、東川町).
受賞歴
2024年 TOKYO FRONTLINE PHOTO AWARD 小山泰介賞