Fanny Terno "Tokonoma Syndrome (Objecta)"
本展は、絵画、写真、ポラロイド、インスタレーションによって構成されている。異なる媒体による作品でありながら、それらは共通して「何かが現れるとはどういうことか」という問いを共有している。展覧会タイトルの《Objecta》は、ラテン語 objectum に由来する。この語は単に「物」を意味するのではない。私たちの前に置かれ、経験へと与えられるもの。私たちの意識とは独立して存在しながらも、見ること、考えること、あるいは感情を生み出す契機となるものを指している。
BCBGユナ展「stay pure」
「社会はだんだんゴリラ社会から猿社会になってきている」という文章を読んだ時、だったら私は子猿でいたいと思った。
簡単に説明すると、ゴリラ社会とは、利益を求めず食べ物を分け与え、お互いの力比べや順位争いをせず、調和を重視することや、言葉に頼らず同じ時間を過ごし、スキンシップや視線で深い信頼を育むことだ。
一方で猿社会とは、勝ち負けを明確にし、力の強い者が特権や利益を独占するヒエラルキーを構築し、共感ではなく損得や優劣の比較によってつながりを判断することだ。
どうして社会は、ゴリラ社会から猿社会になってしまったのだろう…
特別企画|第95回京都アンティークフェアアートフェア|PAC + OSAKA SPACE アーティスト特別展示
PAC + OSAKA SPACE のアーティストは、花花堂と協力し、2026年6月26日(金)から6月28日(日)まで開催される第95回 京都アンティークフェア に参加いたします。
キム・ウンジュ写真展「Unhealed Light」
この作品は、被害者たちの物語と、その中に幾重にも積み重なったトラウマを「光」という概念で浮かび上がらせようとするものである。 歴史的空間は単なる過去の場所ではなく、いまだ癒やされていない時間と感情が留まる現在進行形の空間である。 写真の中の人物たちは、暗い背景の中で重い記憶を抱えたまま立っており、その存在そのものが歴史性を喚起する。 だからこそ、この光は未だ癒やされていない光であり、同時に癒やされるべき光でもある。
*5・18民主化運動(光州事件)の被害者を追った作品
長安
本展における「長安」は、かつて存在した古代都市そのものを指すものではない。むしろ、時間・空間・文化の境界を越えて立ち上がる、動的な枠組みとして再定義されるものである。それは古代文明の往来を象徴するイメージであると同時に、現代において視覚のあり方が更新され続ける場でもある。
層と円
Time accumulates, repeats, and fades—yet still leaves traces behind.
Layer upon layer, it gathers and forms a certain thickness,
tracing circles as it returns once more to its point of origin.
Somewhere within that movement, there is the “now.”
This exhibition is a space for encountering that fleeting moment.
時間は積み重なり、反復し、消えながらもなお残る。 幾重にも降り積もって厚みをつくり、 円を描きながら再び始点へと戻っていく。 そのあいだのどこかに、「いま」がある。 本展は、その刹那と向き合う場である。
居所の外縁
As Arles in southern France was a special place for Vincent van Gogh, Osaka is an irreplaceable land for my artistic expression.
Here, there is a rich light and a landscape unique to this place, and I continue to paint the people close to me and fragments of everyday life.
For me, the beauty of art resides in those fleeting moments when light illuminates our lives.It is an art about time and freedom, solitude, and love and sorrow.
フランス南部のアルルがゴッホにとって特別な場所であったように、大阪は私の表現にとって、かけがえのない土地です。ここには豊かな光と固有の風景があり、 身近な人々や日常の断片を描き続けています。私にとって芸術の美は、 光が生活を照らすひとときに宿ります。それは、時間と自由、孤独、そして 愛と哀しみについての芸術です。
You know, like when you drop a tablet in water.
Events unfolding far away continue their relentless pulse, while life here remains quiet, almost unchanged—yet between the two lies a depth so faint the eye can scarcely register it. Across that distance, shapes and gestures lose their meaning, revealing how delicate—how easily shattered—our belief in “understanding” truly is.
遠くで続く出来事と、ここにある静かな日常とのあいだには、目では捉えられない深い隔たりがある。距離によって意味を失った形や動きは、私たちの「理解している」という感覚の脆さをむしろ照らし出す。
Cross-Section Chronicles「断面誌」
Layering—at once a covering and a form of regeneration.
The form of the old work is enveloped within the new,
not erased,
but extending its life in another shape.
重ね合わせーーそれは覆いであり、再生でもある。旧作の姿は新作に包み込まれ、消え去ることなく、別のかたちで生命を延ばしていく
DUN HUANG(敦煌)
Once a sanctuary where languages breathed side by side,and cultures met in silent dialogue, giving birth to visions beyond time.Today, its echoes still invite us to pause, to ponder, and to see with awakened eyes.
かつて、異なる言葉が静かに寄り添い、文化が沈黙の対話の中で出会い、時を超える幻影を生み出した聖域。その余韻は今もなお、私たちを立ち止まらせ、深く思い巡らせ、目覚めたまなざしで世界を見つめるよう促してくれます。